文京区で北海道ブックカフェを開業するまでの記録

北海道に憧れ移住して十数年 今2016年1月北海道の良さを文京区から発信したく ブックカフェを開業するまでの記録です。

ファームトミタ ラベンダー 北海道

 

 

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  この丘が最後に残ったラベンダー畑

 富良野は北海道でも豪雪地帯なので、今は深い雪のなかです。

自分が北海道に移住して 以前の記事で 
北海道の風景が日常になり

感動が薄くなってきていると書きましたが、


ファームトミタのラベンダー畑だけは得別で

一番美しい7月上旬には(自分も農繁期なのですが)、毎年必ず行きます。

 

なんでかなーと今考えながら入力しているんですが、、、、、
食欲「食べたい」、睡眠欲「眠りたい」と同じで
我慢できないこと

ただただ「ラベンダー畑が観たい・行きたい」欲なのかな。

園内に歩いている人は、老若男女、日本人、外国人みな楽しそう 
空気感もいいんです。みんな幸せ笑顔です。

トミタファームラベンダー畑は入場も駐車場も無料なんです。

さらに素晴らしい風景に、心もおさいふも開放的になっていくんでしょうね。

生産性効率も大切ですが、人に喜んでもらうことが一番大切です

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ここで

 富良野ラベンダーの簡単歴史


富良野のラベンダーは戦後復興の時期 
都会の人々が生活にも若干ながらゆとりがでて


香料会社がラベンダーで香水を作ろうと 
涼しい気候でラベンダー栽培に合う北海道の中で特に条件にあっ、

富良野で大々的に始まりました。

最初は札幌郊外でスタートしましたが、うまくいかなかったようです。 

 

その当時 富良野一帯は250戸がラベンダーを栽培
今の日比較にならないほど畑で咲いていたそうです。

しかし昭和40年中頃から輸入自由化により安価なラベンダーが輸入され
価格が暴落しラベンダーを辞める農家が増えてきました。

生活できませんから仕方ないです。

 

富田忠雄さんの農場でもラベンダー畑をつぶして、他の作物に転作しようと畑をつぶしていましたが、最後の10アール300坪を(最盛期は12ヘクタール42000坪)どうしてもつぶすことができず ほそぼそと栽培していました。

周りの農家からみれば単なる変わりですね、、、


ただ売り先もなく 一円にもなりませんが、
しっかりと雑草を抜いたり 冬の寒さ(マイナス20℃、豪雪)に負けないように

作業しないとそのまま枯れてしまうので

忙しい農作業の合間に管理していたので大変だったと思います。

 

それから数年後「JR(国鉄)のポスター」や「北の国から」の放映によって有名にはなりますが、生活のたしにはならず 
たまに訪れる写真家や観光客に家の庭先でラベンダーの香り袋を買ってもらい
徐々に徐々に今の農場になりました。

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ラベンダーアイス 

 今では夏の時期 日本中からアルバイトの方がきますし、

富良野 北海道観光の超目玉になっています。

 

数年前富田忠雄さんが偶然園内を歩いており、一緒に写真お願いしました。

今でも大切にしています。

その冨田忠雄さんも昨年7月上旬

ちょうどラベンダーがきれいな時期に83歳でこの世を去りました。

富田忠雄さん人生を見ていると
一気にやろうとせず、毎日階段一段ずつ上がるように
生きていけばいいんだなと自分なりに解釈しています。

そんなカフェが目標です。